REPORT
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8千キロ離れた2つのまちに
生まれた、ゆるやかで強いつながり
クロストーク・オン・有田川<1>
ちょうど収穫の時期を迎えたみかん畑が
有田川町の山々いっぱいを彩っていた2018年12月、
久しぶりに有田川町を訪れた山崎満広さん。

遠く離れた「有田川町」と「ポートランド市」という2つのまちに、
まるで友人のような雰囲気を感じる繋がりが生まれたのはなぜなのか?

Golden Riverのクラフトビールを片手に、
このプロジェクトをリードしてきた有井安仁が聞き手になり語っていただきました。

1975年東京生まれ。95年に渡米。南ミシシッピ大学にて学士と修士号を取得。専攻は国際関係学と経済開発。卒業後、建設会社やコンサルティング会社、経済開発機関等へ勤務し、 2012年3月にポートランド市開発局にビジネス・産業開発マネージャーとして入局し、同年10月より国際事業開発オフィサーを務める。ポートランド都市圏企業の輸出開発支援と米国内外からポートランドへの投資・企業誘致を主に担当。 2017年6月より独立起業し、地域経済開発、国際事業戦略、イノベーション・コンサルタントとして日米を中心に多くのプロジェクトを手がける。また、Ziba Design国際戦略ディレクター、つくば市まちづくりアドバイザー、東邦レオ顧問アドバイザー、拓匠開発株式会社顧問、ポートランド州立大学シニアフェローを兼任。 著書に第7回不動産協会賞を受賞した『ポートランド-世界で一番住みたい街をつくる』(学芸出版社)、『ポートランド・メイカーズ クリエイティブコミュニティのつくり方 』(学芸出版社)がある。

 

1976年和歌山市生まれ。高校在学時に1年間アメリカで滞在したことが起業マインドと、地元とアメリカを繋ぎたいという思いを抱くきっかけとなる。1999年高齢者や障害者への訪問理美容ハンズを起業。この事業をきっかけに地域課題解決をビジネスで図るソーシャルビジネスの起業と支援に多く携わるようになる。NPO支援を行うわかやまNPOセンターの経営などを経て、2013年に和歌山県におけるコミュニティ財団・公益財団法人わかやま地元力応援基金を起ち上げ、現在代表理事。地域ではみその商店街組合理事長、わかやま商工会議所青年部理事など、また和歌山大学非常勤講師・客員准教授などを通して学生と地域をつなぐプロジェクトを行う。現在は、株式会社PLUS SOCIALにて持続可能な社会を実現するための社会的投資やローカルファイナンスの仕組み作りを主な仕事とする。有田川町においては、2015年から地方創生アドバイザーとしてポートランドとの連携による住民主体のまちづくりの基盤づくりに取り組んでいる。

 

有田川とポートランド
つながりの経緯

 

有井 いや〜久しぶりの有田川へようこそ、ミツさん。

山崎 本当に。2年ぶりかな?とりあえず…

一同 かんぱーい!

有井 久しぶりに来てみてどう?

山崎 めっちゃ変わったね〜! 2年前はただの保育所跡地だったのに。瓦がコンクリートに埋まってるのも感激だし。

有井 あ〜、保育所の屋根に使われてた瓦ね!

山崎 ちゃんとオリジナルのものを残しつつ丁寧に作られてる感がハンパなく伝わってくるね。あとやっぱり、有田川に着いたときの、山に囲まれてみかんの木が見えて…っていう体験が素晴らしいよね。初めて来たときに、このまちのことが大好きになったことをよくよく思い出してる。

有井 よかった。ミツさんが初めて有田川に来たのって2015年だったかな。

山崎 2015年7月にポートランド支局の同僚のエイミーを連れてきて、有田川を案内してもらったんだよね。みんなで自転車に乗ってまちを巡って、山に登ったりみかん農園に行ったりしたよね。

有井 そうだったね!楽しかったなぁ。

山崎 それで、具体的に何ができるかなって話をするなかで挙がったのが、この田殿保育所だった。閉所が決まっていたから、そこからどういう展開をしたらいいかって。

有井 ミツさんと初めて出会ったのは2014年だったから、すごいスピード感だったよね。

山崎 本当にね。実は、当時もうそろそろ日本での活動は終わりにしようかなって思ってたんだよね。講演はいろんなところから頼まれるんだけど、その先のプロジェクトに全然つながらなくて。

有井 そう。当時ミツさんからその話を聞いて、なんとかしたいなって思ったんだよね。で、和歌山で自治体で予算をとって長期的にプログラム組めそうなところってどこがあるかなって考えた時に思い浮かんだのが、有田川町。上野山さんとか、面白い行政の人たちとか関わってくれそうな人たちの顔が浮かんで…。で、ちょっと持ち帰らせてもらって、すぐ有田川の人たちの人と相談したの。そしたらちょうど地方創生のタイミングってこともあって話がうまく進んで、「全米で最も住みたいまちから学ぶ、みんなが暮らして楽しいまちを有田川で目指そう」って流れになったんだよ。

山崎 そうそう。それで有田川の話を有井さんから聞いて、とりあえず現地を見てみたかったからさっきのツアーを早速企画してもらって。

有井 僕たちはミツさんたちが来るにあたって、行政的な手続きの準備と合わせて、このプロジェクトのエンジンになってくれそうな地元の4人のメンバーに声をかけて集まってもらったの。それがポートランドのことを勉強しながら有田川町の現状や課題のことを勉強する「変人会」っていう名前の集まりになったんだよね。

山崎 変人会ね(笑)

有井 これはまちづくりを考えていく上での僕のポリシーでもあるんだけど、外から入る人間はあくまでつなぎ役なので、やっぱり地元のエンジンになる人、主役になる人をちゃんと見つけないとダメだと思う。

山崎 本当にそうだよね。変人会のメンバーみたいに、最初から今まで変わらない思いを持ってプロジェクトに関わり続けてる人がいるってのはすごく大事。もともとこのプロジェクトが成果を出すには時間がかかるって思ってたけど、今の時期にここまできちっと形に落とし込み始めてるってのは予想外だったなぁ。ちゃんとコミュニティができて、みんなが集まれる場所があって、有田川とポートランドとビールとっていう特別なキーワードとか思い入れを持って働いている地元の人や有田川の外からやって来る人たちもいて、予想してたよりも幅が広いことがバンバン起こってる感じがある。

有井 そういうのの面白いところって、具体的に何やるかってことは後から考えてやってるとこよね。ミツさんもよく言ってるけど、木でいう幹と枝葉の部分は後からでええんやと。土と根っこ作りさえしっかりやっとけば大丈夫。それは本当にこのプロジェクトでも実感したかな。

 


その2に続きます>